こんにちは、ほしよみです(*^^*)
さて続けてアップの今回は、前回の【アダルトチルドレン】良い人過ぎたり悪い人過ぎたりの続きです。
しかし、アダルトチルドレンではなくても、何度も同じ憂き目にあう人などは応用が利く考え方もあるかもしれませんので、よろしければご一読下さいませ。
医学的に、アダルトチルドレンは病気ではないとされていながら、非常に生きにくい感覚を伴うものですし、ご自身の思考や行動のあり方が、結果的にうつ病になってしまう方なども多いのが現状です。
同じ感覚で苦しむ、一人でも多くの方にお読みいただき、少しでもお力になる事が出来たなら、これに勝る喜びはございません。
スピリチュアルな内容を含んだブログですので、ご趣味でない方は、スピリチュアル部分は読み飛ばしていただいて構いません。
それにしても記事をアップしてからも時々手を入れるうちに、
少しいつもの記事より堅い印象となってしまっていますが、
ご容赦下さいませな(*^^*)
では、前回の続きです。
代替えの心イコールアダルトチルドレンとまでは言いませんが、
与えて欲しかったなにがしかを補うため、自らがその役割を負う。
(そのなにがしかを与える側の人になる、といった表現の方が解りやすいでしょうか)
「欲しければ、与えよ」も良いのですが、現実的に過剰になっていたり、自分を大事にしないままに与え続ける、などのコントロールを失った状態は恐ろしいものがあります。
もはや与える部分が生き甲斐、アイデンティティになってしまっている人は、いざ欲しかった物を受け取った時、恐怖を感じる場合さえもあります。
自分が無価値な存在になってしまう恐怖ですね。
アダルトチルドレンの特性は、色々ありますが、
だいたいにおいて根本は、与えられるべき時に与えらなかった何かが関係しています。
いずれにせよ、本来は、そういう人ではないので、物凄く疲れるのです。
とにかく与えて欲しかった気持ちが原動力というか、
深い感情が根本にあるから、他人から見ると愛や優しさとも紙一重で、
同僚や、日ごろ携わるような普通の人達にはなかなか見わけが付きません。
同じアダルトチルドレンでも、よほど経験者でない限り、見分けるのは困難です。
連帯感のような、何か得体の知れない仲間感覚は、互いに持つかと思いますが。
また、本当の心に従った感情を認識するのが難しいので、
正しい事をしている気になって、
自分自身を裏切っているだけ、なんて事もしばしばです。
色々な正義や論理、また常識、沢山の「~べき」が世の中にはあります。
普通に生きている分には、当然それらは集団の為に必要なものであり、
個人に義務や責任を負わせる事はありますが、同時にそれは個人を守る為に必要な「~べき」であり、個人の心や精神性を踏みつけたり裏切る為に存在するわけではありません。
でも、アダルトチルドレンに該当してしまう方は、
自分自身を裏切ってまで、「~べき」に従ってしまう事が多いです。
もしくは逆に、何らかの過剰な反発を起こし、
反発にこそ、自分のアイデンティティを築こうとしたりします。
いずれにせよ、本心に従った反応ではなく、非常に疲れます。
それらはどれもこれも、幼少期に得られなかった何かを得るための、
代替わりした感情ないしは行動です。
欲しければ与えよの、過剰な反応とも言えるような場合が本当に多いです。
この生き方は、完全に治らない限り、大人になっても相手を変え、出来事を変え何度でも繰り返します。
極端な話、愛されてないと思った瞬間、
今まで以上、相手の倍以上相手を愛し始めます。
ゆえに、不当な仕打ちを与える相手の事も許せる、などといった、本当に訳のわからない受容のスパイラルに陥る人も多く存在します。
※これこそが、
ほしよみが、スピリチュアルブログを立ち上げながら、
あまりツイン系の話をしようとしていない事と非常に関係がある部分です。
ツイン系の話自体は内容により、否定も肯定もしていませんし、時に触れさせてはいただいております。
しかし深い話になるほどに、概念というか次元を混同してしまうと、大変危険に思いますし、実際深い話までしないと解決する内容ではないと思いますので、ほしよみ癒しの実では、基本触れずに行こうと思います。
さて、受容のスパイラルに陥ってしまった事のある方は、
被虐的な趣味趣向と捉えられたり、悪い異性が好きなのだと勘違いされる事もあるかと思いますが、
そういう事ではない、もしくは因果関係は無いという事を、ご本人が自覚する事から始めていただけたらと思います。
本来の自分とは異なった自分自身に辟易してくるようであれば、一度過去を振り返ってみると良いでしょう
問題となっている対人関係上のの癖は、
本来自分が与えて欲しかったのに与えられなかった何かを象徴していると、思って良いでしょう。
アダルトチルドレンには色々な型があるので、なかなか一つの記事で終わらせる事は難しいのですが、共通しているものは、
自分自身を守る為に備わった何か、という事です。
精神衛生の為に始まった
「欲しければ与えよ」を過剰に続けてしまっている状態です。
そして、もう不要になっている場合、
あまりに幼少期だと辿る事は難しいので、今現在の自分自身を客観的に見て、
それが何を表現しているのか、はたまた相手を変え出来事を変え、
常に、そうした思考ないしは行動パターンを繰り返しているのではないか、という事を振り返ってみると良いでしょう。
もう、素のままのあなたを愛してくれる人が居るでしょうし、
居なければ、自分が自分を愛してあげれば良いと思います。
他人からの愛であれ、自分自身からの愛であれ、
自分の中で愛のゲージが貯まった頃、
真実大切と思える仲間や恋人など、素敵な出会いもあるでしょう。
欲しければ欲しいと受け入れましょう。
それが出来たら次は、今までそれが無かった事を受け入れましょう。
それも出来たら沸き起こる負の感情全てを素直に感じるままに受け流し、アイデンティティーをクリアにしましょう。
ここまで出来たら少しずつですが、現実も変わってくるでしょう。
出来る事からでしょうが、着実な一歩を踏み出してください。
しかしほしよみは、色んなものが、欲しかったなあ・・・
色んなものが、無かったなあ・・・
(笑)
では、今回はこの辺で。
皆様のご多幸をお祈りします。
以上ほしよみでした(*^^*)
あ、ちょいスピ目指しているのに、
今回スピ要素ほぼ無しでしたね、反省。
…反省して追記します。2019/07/26
引き寄せの法則は、こうした事が出来てから、行ってみると良いでしょう。
だって、それが出来ないままだと、引き寄せてしまいますから。
愛に見えるけど、実は違う存在を。
それはそれで人生学びなのかもしれませんが、宿命や天命というほどの学びではないと思うのです。
だったら、少しでも多くの人が、心自由に幸せに暮らして欲しいと、ほしよみは思うのです。
追記以上です(*^^*)